ベートーベンの「運命」、日本人が勝手につけた題名だった!?

「ジャジャジャジャーン」という冒頭部分が特徴的な、ベートーベン作曲の≪交響曲第5番 ハ短調≫。日本では「運命」という副題で広く親しまれていますよね。しかし、実はこの曲を「運命」と呼ぶのは日本くらいだということを知っていましたか?

この記事では、なぜ≪交響曲第5番 ハ短調≫が「運命」という名前で知られるようになったのかについて解説します。

ベートーベンが「運命」を作曲するまで

ベートーベンといえば、J.S.バッハ("B"ach)やJ.ブラームス("B"rahms)と並んで「クラシック音楽の3B」の一人であり、日本では「楽聖」の名で親しまれる非常に有名な作曲家です。

ベートーベンは1770年ドイツのボン市内で7人兄弟の次男として生まれました。父は宮廷テノール歌手、祖父は宮廷楽長という音楽一家に生まれた彼は、「第二のモーツァルト」として育つよう期待をかけられ、幼いころから厳しい音楽訓練を施されました。

それが実り、21歳の時にはハイドンに才能を認められ弟子入りをし、ピアノの即興演奏の名手として有名になります。

しかし、20代後半頃から持病の難聴により耳が不自由になると、演奏家としての人生を断念せざるを得ず、30代前半で一度は遺書を書き、死を覚悟します。けれども自殺を思いとどまり、ピアニストではなく作曲家として復活することを決意したベートーベンは30代後半に珠玉の名曲を生み出していきます。そんな時期に作曲されたのがこの≪交響曲第5番 ハ短調「運命」≫なのです。

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交響曲第5番 ハ短調

「ジャジャジャジャーン」という冒頭部分があまりにも有名な、≪交響曲第5番 ハ短調≫。ベートーベンの交響曲の中で最もポピュラーな作品と言ってもいいのではないでしょうか。いわゆる「運命の動機」と呼ばれる冒頭の「ジャジャジャジャーン」は第1楽章だけではなく、第2楽章以下においても使用され、曲全体を貫くテーマとなっています。

苦悩を表現したような第1楽章から、歓喜が爆発するような第4楽章へというように、「暗から明」という物語性が明確に描かれたこの作品は、第4楽章の歓喜の爆発を表現するため、これまで交響曲では用いられることのなかったピッコロやトロンボーン、コントラファゴットといった楽器を初めて使いました。

「暗から明」というストーリー性やソナタ形式のお手本のようなシンプルな構造に加え、新たな楽器の使用などの革命的側面から、「運命」はベートーベンの根本精神が凝縮された傑作だと評されています。

”運命”と名付けたのは誰?

「運命」の副題で有名なこの交響曲第5番。しかし、これは実はベートーベン自身が名付けたものではありません。この「運命」という副題には、ベートーベンの弟子兼秘書であったアントン・シントラ―という人物が大きく関わっているのではないかと言われています。

秘書として生前のベートーベンの身の回りの世話をしていたシントラ―は、死後に『ベートーベンの生涯』という伝記を書き、後のベートーベン解釈に大きな影響を与えました。その伝記には≪交響曲第5番 ハ短調≫について、以下のように記されています。

作曲家はこの作品の深みを理解する手助けとなる言葉を与えてくれた。ある日、著者の前で第1楽章の楽譜の冒頭を指さして、「このようにして運命は扉を叩くのだ」という言葉をもってこの作品の真髄を説明して見せた。

「運命」という副題の根拠はこの伝記の一説から来ていたのです。

しかし、シントラーの著した伝記の内容は、後の研究で誇張やねつ造が多いことが分かり、この真偽は明らかではないと言われています。

海外ではどう呼ばれているの?

「運命」という標題に関する信ぴょう性が低いため、海外では副題を使わずに番号と調号のみで表記されることが多い≪交響曲第5番 ハ短調≫。

しかしながら、日本ほどではないものの、「運命」を意味する標題は海外でも認識されているようで、英語圏では「Fate」、中国では「命運」と表記されることもあるようです。

”運命”の由来は…

このように「運命」という副題は、作曲したベートーベン自身が付けたものではなく、弟子兼秘書のアントン・シントラ―が書いた伝記の一説が大きく関わったものなのです。

「運命」という言葉のインパクトにとらわれてしまいがちなこの曲ですが、実はベートーベン自身の言葉ではないのかもしれません。先入観を持たず真っ白な頭でもう一度聴きなおしてみれば何か新たな発見があるかもしれませんね。

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