ドレミファソラシドの起源 グレゴリオ聖歌って何?

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ドレミの歌」をご存知でしょうか?「ド~はドーナツのド~」という歌詞で始まるアレです。ミュージカルの名作「サウンド・オブ・ミュージック」で、主人公マリアが奉公先の子供たちに音楽を教えるシーンで歌ったものとしても知られています。

「ドレミファソラシド」を教える上でも非常に有効で、日本でも教科書に載ったり家庭で歌われたりすることでも広く知られています。そんな「ドレミの歌」ですが、皆さんの中にこんな疑問を持ったことのある方もいるのではないでしょうか。

「ドレミってなんでドレミなの?」

その答えはなんと1000年以上前の宗教音楽「グレゴリオ聖歌」に由来しています。なんで急に宗教音楽の話に!?「ドはドーナツのド」ではない、ドレミの本当の由来をまとめました。これを読めば、長年の素朴な疑問も解決間違いなし!

ドレミの発明の発端?グレゴリオ聖歌ってなに?

グレゴリオ聖歌は、9~10世紀にヨーロッパのキリスト教会で歌われていた聖歌を集め、編纂したものです。ローマ教皇グレゴリウス1世が編纂したと伝えられてきましたが、現代ではその説は否定されています。
記録によると、4世紀ごろの初期キリスト教でも礼拝などで聖歌が歌われていたようですが、記譜という形で音楽の姿が伝わっているのは「グレゴリオ聖歌」が最古です。

グレゴリオ聖歌の最大の特徴は、その全てが「無伴奏・単旋律」であることです。楽譜も現代の五線譜の前身である「ネウマ譜」という四線譜によって表記されますが、これは「音の高さの表記」に特化してるため、五線譜のように音の長さは表記されません。

また、グレゴリオ聖歌の歌詞が現代では死語となっているラテン語で書かれていることも大きな特徴です。後述しますが、歌詞がラテン語であったことが「ドレミ」の誕生に大きな影響を与えています。

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ドレミの由来はこの曲!ヨハネ賛歌

「ドレミ」=階名の元となった曲は、グレゴリオ聖歌の中の「ヨハネ賛歌」だと言われています。ラテン語による6節の原文と日本語訳をご紹介します。

Ut queant laxis
resonare fibris,
Mira gestorum
famuli tuorum,
Solve polluti
labii reatum,
Sancte Ioannes.

汝のしもべが、弦をかきなでて、汝の妙なるわざをたたえ得るように、このけがれある唇の罪をのぞかせたまえ、聖ヨハネよ。

詩を書いたのはある修道士で、急に声が枯れてしまった修道士が「声がまた出るように」という祈りを込めて書かれたと言われています。そこには次のような宗教上のエピソードが隠されています。

洗礼者ヨハネの父ザカリアのもとに天使ガブリエルが現れ、ヨハネの誕生と生涯を予言しました。しかしザカリアはその予言信じなかったため、罰としてヨハネが誕生するまで声を出せなくされてしまった...というもので、これにちなんだ祈りの歌なのです。

「ドレミファソラシド」の由来となったこの曲は、各節の1音目「Ut-Re-Mi-Fa-Sol-La(ウト・レ・ミ・ファ・ソ・ラ)」が音名の「ドレミファソラ」と対応しています。

「シ」に関しては音も歌詞も対応していませんが、後世に「シ」に相当する音階音として「Sancte Ioannes」の頭文字「Si」を追加し、発音しやすさのために「Ut」が「Do」に変更されて、7音の音階と階名「ドレミファソラシ」が完成したと言われています。

また、英語版の「ドレミの歌」では「シ」を「ティ」と発音していますが、これは単純に言語による誤差といえます。イタリア語読みでは「スィ」に近い発音をしますが、日本語では「シ」と発音するのと同じ感覚です。

ドレミを発案した偉い人「グイード・ダレッツォ

実は前述の「ヨハネ賛歌」は、ある音楽教師が教会の新人聖歌隊の音楽教育のために作ったという説があります。
グレゴリオ聖歌の編纂より前の時代、全ての聖歌や賛美歌は口伝で伝えられてきました。つまり”耳コピ”です。日本でも多くの伝統芸能がそうでした。そのため書かれた音符に触れることは無く、音の名前すら必要なかったのですが、聖歌隊の中には曲を覚えるのが苦手な歌手も相当数いたことから、教師の記憶力も含めて、正確な伝承が極めて難しかったことがうかがい知れます。

グレゴリオ聖歌の編纂が行われたころには前述の四線譜「ネウマ譜」が用いられましたが、その中心がネウマ譜の発祥とされる東ローマ帝国だったこと、さらに地域ごとに記譜法が少しずつ異なっていたこともあり、西ヨーロッパの教会などの実践の現場ではまだ口伝による伝承がメインだったようです。

また、当時の教会には楽器が置かれていないことが多く、それも聖歌の正確な伝承をより困難にした要因であると考えられます。現在でも、当時のスタイルを継承している「正教会」系のチャペルには、オルガンなどの楽器は置かれていません。

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イタリアの音楽教師ダレッツォは、「このような状況から脱するには読譜を含めた音楽の基礎教育が必要不可欠である」と考えました。

そこで考案したのが、「音階の構成音に名前を付ける」ということ。「ヨハネ賛歌」の各節のはじめの言葉に注目し、音階の構成音を順番に対応させることで、「Ut Re Mi Fa Sol La」と名づけました。曲を思い出せば階名と音程を正しく思い出せる、という仕組みです。

この音楽教育法は「ソルミゼーション」と呼ばれ、現代の音楽大学などで行われている音楽の基礎教育「ソルフェージュ」へとつながっていく非常に先進的な発明でした。ダレッツォは階名の他にも、「ハンドサイン」と呼ばれる「音程と指導者の手の動きを紐づけする」という方法など、画期的な基礎教育法を考案しました。

これらをまとめた音楽教育法の本は多くの写本が作られるなど、高い評価を受けたようです。先進的すぎるゆえに地方の修道士たちからの反対もあったようですが、その優れたメソッドは音楽教師の間でたちまち評判となり、後に時のローマ教皇ヨハネス19世の御前で実践してみせるまでになりました。

時代が下るにつれてUtをDoに変えたりSiを追加したり、さらには音階そのものも姿をかえながらも、音名は約1000年に渡り使われ続けています。前述のハンドサインも、形を変えて合唱王国ハンガリーで受け継がれています。

ドレミは1000年前の大発明だった!

私たちが何気なく使っている「ドレミファソラシ」には、1000年以上の長い歴史と、さらに長い時間の音楽教師たちの試行錯誤が詰まっているんです。ダレッツォが「ドレミ」を発明していなかったら、バッハもモーツァルトも、ロックやポピュラー音楽も、もちろん「ドレミの歌」だって生まれていませんでした。

グレゴリオ聖歌を集めた音源もたくさんあります。ダレッツォの発明によって、私たちは1000年前の音楽を今も聴くことが出来るのです。ダレッツォたちの苦労に感謝をしつつ、この機会にグレゴリオ聖歌を聴かれてみてはいかがでしょうか。

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